ばかなはなし

小学生の頃、
テストで100点をもらったことを母親に告げると、
「100点は何人いたの?」
と聞かれた。
ナントカちゃんもナントカくんも100点だったんだよ、と何となく誇らしく素直に言うと、
「みんなも100点なら、取れて当たり前ね。」
と言われた。
 
また100点をもらったとき、
今回は難しかったから3人くらいしか満点はいなかったんだよ、
とウソを吐くと、
「お父さんもお母さんも出来たのだから、出来るのは当たり前でしょう。」
と言われた。
 
……そのあと進学をして、
一学年に100人もいない小さな中学校で、
田舎だからそんなに勉学に励む風習もなくて、
塾にまで通って頑張っているのは5番くらいまでの人達で、
私はいつも10番以内になんとなく入っているだけで、
そんな中で私が5番になったことがあって、
受験シーズンで、
それなりにみんな頑張り始めたときで、
そのときばかりは私もそれなりに頑張ったときで、
正直褒めてもらいたくて満点の教科もあったんだよと報告したら、
「1番、せめて3番以内でなければ意味がないでしょう。」
と言われた。
 
あ、だめだ、と思った。
 
……思い返せば、
ピアノも
水泳も
陸上も
吹奏楽
バレーも
ぜんぶそうだった。
狭い町で、親同士も顔見知り、もしくは仕事の関係者であることが多くて、
「あの子に負けるんじゃない。」
とばかり言われ続けた。
もしくは、
「お姉ちゃんは自分から勉強をする真面目で手のかからない優秀な子で、優秀な学校へ優秀な成績で入った。」
ことばかり話して聞かされた。
私は確かに何に関してもナンバーワンになるほどずば抜けたことはなくて、勉強も、運動も、何かしらの作業も、それなりにこなすことが出来るだけだった。……良い意味ではなく、「出来なくはない」、ただそれだけだった。
 
「負けるんじゃない」とだけ言われて
負けたところで、何に負けていて、
勝ったところで、何に勝ったことになるのか、
……は、分からなかった。教わらなかった。
仮に何かに勝ったことがあるとしても、だからといって褒めてもらえたことはなかった。
 
 
思い返せば、思い返せば。
 
4年生のとき、
ピアノの発表会の真っ最中、ステージで、急に目の前が真っ白になって楽譜が読めなくなった。
5年生のとき、
水泳の大会の真っ最中、自分の出番で、急に飛び込み方が分からなくなった。
陸上の大会では、走り幅跳びで、何度も踏み切りラインを越えてしまった。
中学生のとき、
吹奏楽のコンクールの度、楽譜が読めなくなって、とにかく体が覚えている指の運びだけで吹き続けるしかなかった。
高専で始めた念願のバレーボールは、コートの中へ入った途端に体の動かし方が分からなくなって、縦にも横にも動けなくなった。
 
あれらは全て"採点される"場だった。
良い結果を出さなければならない場。
見張られている立ち位置。
……もう随分と前から、そういう場は苦手になっていたんだ。
失敗は許されない。
失敗をしたら、存在が否定されてしまう。
今回、というミスではなくて、今までの全部、がミスだと言われてしまうから……。
それで、
ピアノも
水泳も
陸上も
吹奏楽
バレーも
すべて辞めた私はみっともないだろうか。逃げたということだ。
ステージやコートの上でのどうしようもない恐怖感に勝てなかった。人前で自分を披露しないといけないことを考えると、その場面よりずうっと前から不安な日が続いた。
 
そういう人間だったし、今でもそうだ。
 
評価される場は出来るだけ避けたい。不安と焦燥で真っ白になる。
本当は挑みたい。逃げずに戦いたい。
だけど直前になれば逃げてしまう……
「逃げ癖がついている!」
会ったばかりの人にまで言われて、確かにそうだ。もう癖になっている。
戦わなきゃ。
戦わなきゃ。
……もういやだ。
 
真っ赤になるような緊張なら良かったのに、
この恐怖もいつか薄れてくれるんだろうか。
逃げたい。
間違った私を裁かないでほしい。
恥ずかしいと笑わないで、
やはりその程度だと見捨てないでほしい。
 
がんばらなきゃ