そういう君が大嫌い

傷付いているときに、
ことさら自分を追い立てるように奈落へ向かおうとするのは何故だろう。
有り余っているのではない、自らを擦り減らして他人へ与えようとする。
完全犯罪ではない、隣人に露呈するような罪を負おうとする。
「痛い痛いこの傷に気付かない奴らは見る目が足りないクダラナイ、奴ら見逃すアレもコレも私がやらなければならない!」
……傷を抱えた私に失敗の責任を求めないで、罰なら受けるけれど、本当はずっと傷が痛かった痛い痛い痛い!
 
この傷を見て
呆れないで
逃げないで
痛がって
隣に居て
みんな
ずっと
 
自分が嫌いで他人が羨ましい
 

 
みんな馬鹿ばかりで自分だけが正しい
 
 
(でも考えれば考えるほど、優しくして、とは違うんだ。自分でもよく分からない。)
(ああそう、「私を見て」!)
 
 
 
『そんな君に言えること、
君が救われると言うのなら僕ら共犯になれるけれど、どうせ君は一人で自分を罰するから、そもそも罪を背負ってはいけない。』
 
『だけどもしも君が誰かに真実救いを求めたいのなら、そのうえでその相手に救いを求めるような自分を嫌悪しないのなら、その相手は君を救うだろう。……君が世界を信じられるかどうかなんだ、ただ、それだけなんだ。』