自己覚知

自分のことが本当はよく分からない。
だからこそ小学生のあのとき、幼なじみに言われた一言で自分を知り救われたのだし、好きだと伝えて隣にいてくれた人の一言でどうにか生きていけるのだし。
 
自分の身体の疲れがよく分からない。
自分の精神の限界がよく分からない。
 
それでも少しずつ分かってきた目印があって、それがエスカレーターとお守りだ。
人混みに埋もれることに恐怖心がある私は、連れがいなければ出来る限りエスカレーターを使わない。使ったとしても、歩いて登る。立ち止まらない。
だから私がエスカレーターにただ乗ったときは、それは精神が疲弊しきっているときだ。前に進む足が、気力がもうない。
逆にいえば足が進むのならば、どんなに疲れたように感じていてもまだ力があるのだ。何かに立ち向かい進む力。
 
お守りは、忘れていることが一番良い。
何かにつけ私は依存対象を選び、身につける傾向がある。それはどんなものでも良い。誰かに何か縁があるものならば。
ただ付き合っただけの人に貰ったストラップ、そんなに深く交われなかった友人に貰ったピック、惚れた相手に嵌めてもらったバングル、その人が隣に居た頃に身につけていた指輪、天然石のブレスレット。
思い込みの縁でも良いから、何か。
今はやっとあの指輪を脱して、少しずつ石を組み替えているブレスレットに依存している。石を組み替えるのは自分のために、あの人への依存ではなくするために。
ただのブレスレット。
心がそこに依存しているのを感じる、最近は危ない。エスカレーターも登れない。
仕事がなければきっと手首を切っている。
そう気付いてもっと自分に嫌悪感が増す。
 
相談することがあまり得意じゃない。
発散することが得意じゃない。
それなのにまるっきり抱え込むことも得意じゃない。
ぐじゃぐじゃと吐く真似をしながら、気付いた人が助けてくれるのを待っている。たぶん。
なんかもう気持ち悪い。
なんでこういう人間になったかな。いつから?